目次
1945年、終戦
9人の乙女とは
9人の乙女って知っていますか?
「女子バレーボール」
という声が聞こえそうですが、スポーツチームではありません。
1945年、樺太で青酸カリを飲んで自殺した9人の電話交換手のことです。
彼女たちのことは、同じように自決した「ひめゆり」と比べ、北のひめゆりと称されることもあります。
かたや自殺、かたや自決
同じように自ら死を選ぶことであっても、強い意志を持った自決 になっていないことにも、何か意味があるのではないかと思ってしまいます。
ソ連の侵略
1945年と言えば、第二次世界大戦が終わった年。
そう、日本は大戦で負けてしまいました。
敗戦についてはきちんと処理が行われていたにもかかわらず、ソ連は侵略してきたのです。
ソ連という国は、対戦後、日本のみならず、バルト三国なども侵略し、中世の街を破壊してしまいました。
戦争には参加せず、終戦後に宣戦布告する、弱みにつけ込む国なのです。
電話交換手9人
九州ほどの大きさがあるという樺太、その真岡の電話交換手だった9人は、自ら命を絶ってしまいました。
一般的に、その理由は
ソ連軍に陵辱されるなら、その前に死んでしまった方がマシ
とされています。”きりぎりす”もずっと、そう信じていました。
ですが、本当にそうなのでしょうか?
9人の乙女の中には、”きりぎりす”の親戚がいます。
遠い親戚ではなく、母の従姉妹になります。
実際、稚内にある電話交換手の碑も見たことがありますし、道庁にある資料へも足を運びました。
映画やドラマがあるたびに興味を持ちましたが、どれも実際の出来事を元にしたお話となっており、
脚色されています。
ドラマでは、”きりぎりす”の親戚が結婚していたという設定になっており、9人の乙女そのものを否定する内容に驚きました。
1974年に制作された映画「1945年夏 氷雪の門」は、2010年にようやく公開
そして、YouTube で配信、視聴が可能です。


永訣の朝 川島康男
知人が「永訣の朝」という本を入手したので、読ませてもらいました。
作者の川端康男さんは、かなり事件の真相に迫っていると思われます。

関係者から数々の証言を入手して、作成されたこの本は後世に語られるべき貴重な資料です。
青酸カリをどこから入手した?
これは、大きな謎です。
どれも推測の域を出ず、真実はわかりません。
現在なら、青酸カリのような毒薬の経路については、しっかりと記録されるのでしょうが、当時は管理が甘かったということであれば、こういう状況にもなりうるのでしょう。
ひめゆりのように、手榴弾という大掛かりなものでなく、口に含めば死に至る青酸カリは、あまりにも手軽だったことが命を絶つ原因のひとつになったかもしれません。
しかし、彼女たちに青酸カリを渡した人への憤りはあります。
最大の疑問
なぜ死を選んだのか?
自殺した人に対して思うこと、まず一番はこれです。
9人の乙女に関しても、おそらく、ほとんどの人はこう考えるはず。
死ぬことはなかったのに。
「日本人として、陵辱は耐えられない」
現代のわたしたちには、こういう考えはあまりないですよね?
彼女たちにも、こういう考えはなかったのではないかと”きりぎりす”は考えます。
北の果て、樺太の電話交換手
ある意味、彼女たちは花形職業についていたわけで、教養や知識があったはず。
そして、北海道に生きる女性は、たくましいのです。
男並みに、強く、果敢に生きています。
それは、映画「北のカナリアたち」でも描かれていましたが、寒さが厳しい地で生きるには優しくはなれない
でも、精神的に強いのです。
生きることができるなら、生きたい!
こう、考えていたはず
それなら、なぜ死んでしまったのか?
そんな彼女たちが死を選んだ、その理由は
ただ、追い込まれたから
これに過ぎないと思います。
早朝の職場に、女性だけが残され、上司がいなかった
どこへ、どう逃げたらいいかわからない
敵は迫る
弾は飛び交う
こわい
怖さから逃げたい
ただ、弾が当たって死ぬのを待っているぐらいなら、
どっちみち死んでしまうなら、薬で死んでしまおう
こう思ったに違いありません。
誰がが導いてくれたなら、彼女たちは死を選ばなかったのに
この侵略によって、母の兄(当時中学生)は路上で射殺されました。
制服を着ていたため、日本兵だと思われたのだろうと言われています。
幼い母は、無事に小樽に引き上げました。
樺太の悲劇
”きりぎりす”は、残念でたまりません。
平和に暮らしていた人々を虫けらのように殺したソ連
自力で奪い返したバルト三国と違い、樺太は日本ではなくなりました。
でも、いつか樺太の地に立ってみたい
9人の乙女たちが生きた大地、母たちが暮らしていた自然を感じてみたいと思っています。

