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お寺の掲示板
秋彼岸法要
大阪市谷町にある願生寺(浄土宗)、9月23日彼岸法要の行事に行ってきました。
”きりぎりす”は、大阪の出身ではありませんので、こちらは母が他界したときからお世話になっているお寺です。
もともとは、行事があるときに父が行っていましたが、高齢になり行きたくなくなったようです。
集まった方々もお話ししていましたが、
「だんだん年寄りは減ってきて若い人に変わってきている」
わが家もそんなふうに、父の代わりに参加するようになりました。
お寺の掲示板大賞
こちらの住職は、”きりぎりす”よりも若く、なかなかお話が上手です。
そこで、最近ではお話を聞くときに、メモを取ることにしています。
備忘録のカテゴリーに、入れていくことにします。
たいていのお寺には、通りに面して掲示板があります。
なんとなく、足を止めてその内容を見たことがある方も多いと思います。そんな掲示板には
『お寺の掲示板大賞』
というのがあるそうです。
こちらに2018年の受賞作が発表されています。
大賞は
お前も死ぬぞ
釈尊
なかなか衝撃の言葉ですが、これが釈尊となっているので、なるほどと思えます。
他には
NO ご先祖, NO LIFE
先祖あってのわたしたち、先祖がなければわたしたちの存在はありません。
他に紹介していただいたのは、
まるまると まるめまるめよわが心 まん丸丸く 丸くまん丸
ぶつぶついうならなむあみだぶつ
2019年の募集はこちら
一切衆生悉有仏性
いっさいしゅじょうしつうぶっしょう
この見出しの意味は、
すべて生あるものは、ことごとく仏となる可能性を有している
ということですが、
動物は往生するか?
という議論に対して、2つの考えがあります。
人は念仏を唱えることによって往生するとすれば、念仏を唱えない動物は往生することができないとなりますが、人間でも自分で念仏を唱えることができない人は、周りの人が念仏を唱えることで往生できる
それなら、動物でも人間が唱えてやれば往生できる
という説と
動物はそのままでは往生できないけれど、生まれ変わることによって人間になり往生するので、そのために念仏する。
という説
たまゆらの命と知ったその日から阿弥陀の慈悲が身に沁みにけり
たまゆらの命というのは、かすかな命という意味です。
阿弥陀様の慈悲に包まれていることを感じるということですが、普段の生活ではなかなかそういうところに至りません。
”きりぎりす”も今回の大けがによって初めて、守られていたありがたさや、この程度で助かったことを感謝すべきであると感じています。
人の命はたまゆらであるからこそ、大切にしたいものです。