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初めての海外旅行
少し前に”珍道中”のカテゴリーで、オーストリア航空のことを書きましたが、それは飛行機のトラブルではありません。
今回は、飛行機のトラブル、しかも緊急着陸という危機に遭遇したときの話です。
何回も海外脱出したことがある”きりぎりす”ですが、初めて海外に行ったのは1978年のことです。ちょうど40年前ではありませんか。
ひぇーっ、はるかな昔ですねー
ヨーロッパツアー
海外セミナー
これは、大学の単位が取れる海外セミナー、ヨーロッパコースという名目でした。先日、そのときの資料が出てきました。
せっかくなので、当時の資料を参考にしながら書いていきます。
株式会社日本交通公社(現在のJTB) が企画したツアーです。
日程と訪問ルート
3月12日ー4月5日
訪問国: イギリス、スペイン、イタリア、スイス、ドイツ、フランス (Aコース)
この海外セミナーは14回目のものであり、総勢12◯名という団体なので、Aコースに対してドイツから逆ルートのBコースもあったのです。
最初の訪問国イギリスと最終訪問国フランスは、全員12◯名が集結しました。
トラブルの前触れ
出発は大阪空港、経由は羽田空港、当初、予定の帰国地は往路と異なる成田空港だったのですが、成田空港の管制塔を破壊してしまった 成田空港管制塔占拠事件
によって、急遽羽田へと変更になりました。
いかにも、トラブルの前触れという感じですよね。
もともと、うちの大学は学生運動が激しく、それに困っていた大学側が女子学生を多くすることによって学生運動を鎮圧しようとしたわけなので(と聞いている)この手の激しい運動もどこかの伏線でつながっているのかもしれません。
日本への帰国便
パリ、シャルル・ドゴール空港
1978年4月4日(火曜日)
その日10:00発、日本航空426便に、”きりぎりす”たち総勢12◯名が搭乗しました。所要時間16時間の予定です。
機体エンジントラブルの発生
ここからが、スケジュール表にないツアーの始まりですww
パリを出発した飛行機は、しばらくして乗員さんが機内を動き回るという事態になりました。(”きりぎりす”爆睡中)
そして、機内アナウンスがあり、
「当機はエンジントラブルのため、予定を変更してイギリスヒースロー空港へ向かっております」
んにゃっ! と目覚めた”きりぎりす”
続いて
「左右の翼から燃料を放出いたしますので、ご覧ください」
窓から、白い煙のように噴出される燃料を見る乗客たち。
燃料の放出は、重くて着陸ができないからだと言われていますが、着陸のときに引火する危険があるからだと素人的には考えます。
まあ、どっちにしても乗客からすると
「ちゃんと着陸できるのかい?」
というところが、一番の問題。
ヒースロー空港緊急着陸
機内は誰も騒ぐことなく(疲れている?)静かに、いや、息を凝らして着陸の瞬間を待ちました。
結構な衝撃で着陸!!トラブルでなくても、こういう着陸はあります。
でも、機内には影響がなかったので、みんな顔を見合わせ、ホッとして喜び合いました。
待ち時間の食べ放題
故障を修理する間、空港での食事は食べ放題となりました。
昔のことなので、今はそういうことがないのかもしれません。
何時間待ったのか定かではありません。たぶん4、5時間ぐらい?乗り換え待ちで4時間なんてのはザラ、日本に帰ってからは寝るだけのことなので、別に焦る必要もないのです。
お食事は、モリモリさせていただいたような気がします。
そりゃあ、学生の若者ですもん。
東京宿泊
修理が終わった飛行機(終わったんだか、代替機になったのか不明ですが)は、アンカレッジを経由して羽田に到着しました。
予定では、国内線に乗り継いで大阪に戻ることになっていましたが、もう便がありません。
海外ツアー全員、東京で1泊させてもらうことになりました。その宿泊先が
高輪プリンスホテル
当時、光輝くプリンスホテルの中でも、最高レベルに君臨していたホテルです!!!
”きりぎりす”にとって、いやほとんどの学生にとって雲の上のような存在です。その後、縁があったのか、このホテルで友人の結婚式に参加することになりました。
夕食としては、サンドイッチをいただきました。
ヒースローホテルの食べ放題、高輪プリンスホテルときて、そのサンドイッチ
なんか、けち臭い イメージでした。
お腹もあまり膨れなかったような💢
これが”きりぎりす”にとっては、初の海外旅行です。
しかし、こんなことには全然めげずに、40年後の今も世界を飛び続ける”きりぎりす”なのです。